2014年3月12日水曜日

three years diary325

皆さん、3年前のことを書いていたので...




あれから3年の月日が経ちましたか。

長いような短いような。

あの時期は、仕事で千葉県の我孫子市に住んでいました。

��.11は、別の現場(東京都足立区)に行って仕事をしていた時です。

急に大きな地震が起こり、電柱が釣り竿のように横揺れ、停車していた大型ダンプトラックも横に揺れ転倒するんじゃないかと思うくらいに。

近くの幼稚園から出てきたお母さんと娘さんが、歩道を歩いていたので建物の下は危ないからと判断し、自分たちが仕事をしていた駐車場へ誘導しました。

その後も、連続して地震が起きたので、作業を中止し千葉県我孫子市へ戻る最中、関西大震災の高架が崩れ落ちた映像が頭に浮かび、高架下を走行しないよう、あっちこっちを走った記憶があります。

その時に、地元会社(北海道)の安全担当者から、『大丈夫か?』という安否確認の電話が入り、ここからしばらく携帯電話がつながらない状態になりました。

当然、家族とも連絡が取れなかったので、しばらくツイッターで状況をつぶやいていたのを家族が見つけ、生きてるんだな!とわかったようです。

昨日、一昨日もテレビで、被災地の現状についてやっていましたが、高台移転や復興住宅などは、用地や造成などに時間がかかり、工事は人手不足や原材料費の高騰で、作業が進みにくい状況にあると言ってました。

阪神大震災と比べて、規模が違いますが、仮設住宅の撤去は震災から5年目だったそうです。

復興住宅の進み具合は2%

あと何年したら、完全に復興するのでしょうか。

東京オリンピックもあるので、被災地が後回しになることがないようにしてもらいたいです。

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